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高森明勅
2019.12.7 06:00皇統問題

旧宮家の廃絶

占領下に傍系の11宮家が皇籍離脱を余儀なくされた(昭和22年10月)。

それらの方々は、元々「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」(大正9年)に
従えば、天皇との血縁が極めて遠い為、占領行政とは関わりなく、
やがて皇族の身分を離れることになっていた。

又、皇族の中からも、3直宮家(じきみやけ=秩父宮・高松宮・三笠宮家)を除き、
他の宮家の皇籍離脱を唱える声もあった(東久邇宮稔彦王)。
実際に皇籍離脱したのは、以下の宮家だ。

伏見宮(ふしみのみや)・閑院(かんいん)宮・久邇(くに)宮
・山階(やましな)宮・梨本(なしもと)宮・北白川(きたしらかわ)宮
・賀陽(かや)宮・朝香(あさか)宮・東久邇宮・竹田宮・東伏見宮。

これらの宮家の皇籍離脱に際し、宮内府(後の宮内庁)の皇太后宮職庶務課長
兼会計課長だった筧素彦(かけいもとひこ)が「まことに恐れ入ったことで」と
申し上げたのに対し、貞明皇后(当時の皇太后=大正天皇の皇后)が以下のように
仰ったことは、よく知られているだろう。

「これでいいのです。明治維新この方、政策的に宮さまは少し良すぎました」
(筧『今上天皇と母宮貞明皇后』)と。

これは戦前、傍系の皇族数が増えて、中には天皇のお気持ちに背いたり、
不心得な振る舞いをしたりするケースも現れていた事実を念頭に置かれて
いたのだろう。
旧宮家のその後はどうか。

サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が国際法上の独立を回復してからも、
旧宮家の復籍を求める声は拡がらなかった。
歳月が流れる中、伏見・閑院・山階・梨本・北白川・東伏見の諸家が既に断絶した。
僅か70年余りでこの状態。
正嫡の「男系男子」に限定すれば、こうなっても不思議はない。
旧宮家はもはや純然たる民間人なので、(他の旧宮家などから)
「養子」を取ることも可能。

しかし、そうした手段で家の存続を図ることもなかったようだ。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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